2011年12月30日金曜日

2011/12/29 2

今年は音楽関係では色々あった。R.E.M.が素晴らしいアルバムを出したと思ったら解散してしまい、凹んでいたらローゼズが再結成して、後から気づいたがGY!BEも再始動していた。

今年聴いたなかで一番好きだったのが、Lucien Dubuis Trio & Marc Ribot/Ultime Cosmos。

Bal Les Masques!

Marc Ribotを追いかけるなかでこのアルバムを見つけて、Lounge Lizardsのような雰囲気の曲もあれば(当たり前か)、70年代のKing Crimsonのような曲もあり、一度に気に入ってそのまま買ってしまった。無茶苦茶格好いいのである。

アルバムの紹介フィルム

2011年12月27日火曜日

2011/12/27

移民問題は、日本では一部の地域を除いてメインストリームの社会問題にはなっていない。少なくともそういう建前である。

わたしがこここでいう「移民問題」とは、出稼ぎ労働者たちの第二世代が直面する帰属性の問題であり、彼らを受容する側との間で生じる摩擦のことである。彼らは第一世代とは異なり、自分の帰属する文化を選択する必要がある。もしくは、その権利があることになっている。

実質的には選択の問題ではない。選択し行動した結果が許容されるかどうかの問題である。彼らが許容されるためには、「正しい移民」である必要がある。ただし、ここでいう許容とは多くの場合、相互不干渉の言い換えでしかない。

「許容」された移民もそうでない移民も、同じ糞たれの上に座らされている。同じように疎外されているのだが、その違いは求められる「正しさ」を内面化するに足る結果を持っているかどうかという一点のみである。

2011年12月24日土曜日

2011/12/24 2

自分の悪い癖として、何かを見たときにその裏側の仕掛けや構造にばかり目がいって、思考が抽象的なレイヤに留まったまま帰ってこないことがある。なるべく具体的なもののなかに立ち戻らないといけないなと思う。

2011/12/24

Godspeed you! Black Emperorが再始動していた。ツアーの映像がYoutubeに大量にアップされている。この人達が活発に活動していた2000年頃と比べるとビデオカメラが格段に進化しているので素晴らしい映像がザクザク出てくる。ライブの定番であった、メンバーが撮った映像もはっきりと映っている。

Dead flag blues
彼らは出てきた当初からライブ音源がネット経由で広められていくことに賛成していたと思うが、こうして素晴らしいものが沢山見られるのはとても嬉しい。


最近、グレイトフル・デッドのビジネス論という記事がWIREDに上がっていたのを読んだ。コピーを流通させてライブに人を呼んでくるフリーミアムモデルとしてグレイトフル・デッドの活動を分析した記事だったが、GY!BEの場合には楽曲そのものもフェアユース扱いだったと思う。思想的な部分が直接の理由だろうが、そもそもが到底真似できないスタイルなのでコピーなどされないのである。
Moya
活動停止したのが2003年。それから8年経って、彼らのやり方で情報が流通しやすい状況に変わってきているとは思う。もっとも、活動停止の直接の理由となった、メッセージの伝わりにくさというのはあまり変わっていない気はするのだけれど。

2011年12月23日金曜日

2011/12/22

映画『ソーシャルネットワーク』で一番好きなシーン。レースに励む脳筋どもをミニチュアライズ撮影でラット扱いしていて、デヴィッド・フィンチャーの悪意をバリバリに感じられて楽しい。

2011年12月21日水曜日

2011/12/21

月曜日。金正日の死亡を受けて新橋では号外が配られていた。ニュースとしてはネット上ではとっくの昔(数時間前)に配信されていたもので、速報性という点で号外なんて資源の無駄としか思えなかった。

ところが、色々なところの反応を見ると、号外でそのニュースが現実として感じられたとか、真実性が担保されたという感覚を得ていた人もいたようで、ベネディクト・アンダーソンいうところの出版資本主義の機能を裏打ちしているようで面白かった。

リアリティや現実感といったものは、客観的事実とは別のものだ。ジャングルのなかで孤立していた小野田少尉が1972年まで戦争を継続していたことや、ブラジルの日系人社会がポツダム宣言を受諾した事実を受け入れた「負け組」と、戦争に勝利したと主張する「勝ち組」とで分裂していたことは極端ではあるが例のひとつと言える。

リアリティは、パブリックなものと言い換えることもできる。その形成過程そのものがきわめて政治的なものだ。

情報環境としてのデジタル情報は、リアリティを生み出すという点ではまだ出版に追いついていないか、まだ洗練されていないのだと思う。端末に配信されてくるニュースは個別にしか受け取れず、号外のようにその場に劇場型空間を作りだせるものではない。

SNS等のソーシャルストリームにリアリティ形成の可能性はあるのかも知れないが、ある情報に対する他人の反応や振る舞いを確認するために使われている限りは何の変化も起きないのだろうと思う。

2011年12月20日火曜日

2011/12/20

通勤途中、小さな公園のなかを通る。黄色い落ち葉の横でピンク色のチョークが砕けていた。顔料の鮮やかさが不自然なようであり、自然なようでもあり、飛び散り方が美しかった。

2011/12/19 4

話をしていて、言葉に無駄が多いと思わされる人がいる。行動や身振り手振りにも不要なものが多い。修辞と形容詞といった操り人形は殺してしまえ。

2011年12月19日月曜日

2011/12/19 3

今週はスペイン料理の番。とりとめもない話をするなかで、美術業界に片足を突っ込んでいた頃のことを思い出した。とある作家の手伝いでアトリエの整理や展示会の設置などをやっていた。その界隈に出入りしている人たちの、地味な繰り返し作業をものともせずに続けられるところや、曖昧なもの、中間的なものへの対応の繊細さは会社勤めの人間のなかには滅多にお目にかかれないものであったと思う。

2011年12月18日日曜日

2011/12/19 2

仕事が落ち着いてから酒を飲む回数が増えている。美味しく飲めているのは良いのだけれど、以前あまり飲んでいなかったので自分としては飲み過ぎのような気もする。走って消化しようとも思うが、調子がでない。今年はこのまま終わらせるのが良いのかも知れない。

2011年12月16日金曜日

2011/12/15

仕事を休んだので、ゆっくりと起きて、ゆっくりと料理し、ゆっくりと本を読み、ゆっくりと走り、友人とゆっくりとお茶を飲んで、最後にゆっくりと明日の食事を作って終わり。

2011年12月13日火曜日

2011/12/13

日差しが暖かくて気持ち良かったので、昼休みに代官山にできた蔦谷書店を覗いてきた。できたばかりでレストランなどは混んでいて入れず、一通り店舗内を散策して帰ってきた。

本屋に何を期待するか。自分の場合、鎌倉のたらば書房と何件かの古本屋に通いながら育ってきた。たらば書房という本屋は、外見はとても地味な、いわゆる街の小さな本屋だが、店に入ると小部数しか出ない雑誌や本が仕入れてあったり、文庫本は出版社別ではなく著者別に並べてあったりして、本の探しやすさと仕入れの妙を味わえるお店だった。

鎌倉という土地には、こうした店が成り立つぐらいには読書家がおり、古本屋も含めて地域内での本の循環はとても豊かだった。これらの書店たちでヴァレリーやブランショを追い掛け回していたのが自分の20代前半だった。ノスタルジーもありつつ、こうした街の温度のようなものを少しでも感じられる書店を応援したいという気持ちがある。

一方で代官山にできた蔦谷書店。巨大であり、物量に圧倒される。滅多に売れなさそうなマイナーな本も置いてあるし、本屋という空間をメディアとしてフル活用しようという強い意志を感じる。その一方、損耗率や不発弾の発生率まで計算に含んだシステマチックな爆撃を受けているような印象もある。

大抵の本屋には売れない本が揃った棚がある。むしろそうした本ばかり読んでいる自分にとっては、本屋の良し悪しは誰に必要とされているか分からない本がどれだけ置いてあるかで決まっている。代官山蔦谷では、「売れない棚」は、スペースは余っているにも関わらず手の届かない高さに設置されていたりして、商品というよりは天井まで本棚があることを示すためのオブジェとして置かれているように見えた。

アメリカのカジノでは、テーブル毎に負け率と負けられる金額が設定されており、それらが一定以上の数値になるとテーブルをクローズしてしまう。胴元が勝つように統計的に調整されているのだが、ツタヤでも同様の店舗オペレーションのノウハウがあるのだろうと思う。

東京で大規模店舗を回すにはこうした損切り的なシステムが必要だということは理解できるが、書店というよりはツタヤシステムそのものに見えてしまった。

2011年12月12日月曜日

2011/12/12 3

断章形式の作品というものを、最近はどうも読めないでいる。もちろん物理的には読める。ひとつひとつの断章を読み進めていくのは簡単だが、それらの組み合わせ、隙間から意味を捉まえて遊ばせることができなくなっている。頭が硬くなっているのか、疲れているのか。いずれにせよ、少し脳味噌を使ってあげないといけない。

2011/12/12 2

人生初のポルトガル料理を食べる前、本棚のフェルナンド・ペソアの本を何年かぶりで読み返していた。この作家について何か書けるほど読み込んだわけではないが、「私」の複数性に関する記述のなかに、自分の感覚のある一部分にとても近いものを見つけたことを思い出した。

2011/12/12

日曜日は近所で人気のポルトガル料理を食べに行ってきた。
同じイベリア半島ということでスペイン料理に近いのかと思っていたものの、もう一段素朴な味わい。お店独自のアレンジなのか、パクチーが料理に使われていたのが面白かった。ソーセージなどは荒々しい味だったので、それを打ち消すために使っているのかも知れない。家庭料理風で味が一本調子になりかねない料理が多かったので、味に深みと彩りが出ていた。
ポルトガルの海洋国家としての歴史を考えれば、香草が手に入る地域に辿り着かなかったわけはないと思う。ただ、実際ハーブ以外の香草を料理に使うことがあるのかは、店員さんが忙しそうで聞けず仕舞いだった。

2011年12月11日日曜日

2011/12/10

とある社会人大学院のオープンコースに参加してきた。大学院の説明に加えて、マーケティングをテーマにした講義とちょっとしたワークショップ。
ワークショップは軽いジャブ程度のものだったが、面白かったのは、自社でも経営層らしき人がその場のリーダーをメンバーの一人にお願いしたことから、各人の振る舞いまで含めてほぼ自動的に役割が決まってしまったこと。誰しもそれぞれ与えられた役割を演じていることは言うまでもないが、会社員は特にそれを敏感に察知するものだし、そうでなくてはやっていけない部分もある。刑務官と囚人で別れる実験のように、役割が人間心理に及ぼす影響だろうと思う。
そのうえで、号令をかける人、役割を発生させる人の存在が重要なのだろうと思う。「あの人、人にやれやれって言うばっかりで自分では何もしないよね」という陰口はよく聞くのけれど、船頭多くして船山に登ってしまうか、烏合の衆になるか、単なる丸投げ野郎ではなく本当の意味で号令をかける人がいるかどうかで変わってくるのだろうと思う。

2011年12月8日木曜日

2011/12/08 2

書こうとするものと書かれたもの、あるいは自分がそのときに見ているものは一致しないことが多い。むしろ一致した試しがない。どうあれ変わらないのは、書こうとするものにはそれぞれに重心があり、それによって形が決まってくるということ。

2011/12/08

今住んでいる家の近くには都内でも有数の大きな公園があり、そこに住んでいる人とすれ違うことも多い。近所といえば近所だけれども、同じマンションに住む住民の顔もよく知らないのと同じように彼らの顔も見えない。
彼らは時折単なる物体のように存在していることがあって、氷雨のなかで傘もささないでいるため濡れっぱなしで、おまけにサンダル履きのままベンチの上で動かないでいたりする。わたしは声をかけない。誰かが警察に連絡したりするのだろうかと思いながら会社へ向かい、帰ってきたときにはベンチの上には何も残っていない。

2011/12/07

前日の焼肉とビール、続くバーでの白子とウイスキーが美味かったせいで、若干酒が残りつつ仕事をしていた。それを差し引いても調子が出ない。一時期激しく働いていたので、バーンアウト的なものもあるのだろうと思う。

2011年12月6日火曜日

2011/12/05

眠い。風邪をひいたりひきかけているときに鼻水が出るとか喉の調子が悪いとか、初期症状は様々だと思うけど最近はとにかく眠い。