2011年12月13日火曜日

2011/12/13

日差しが暖かくて気持ち良かったので、昼休みに代官山にできた蔦谷書店を覗いてきた。できたばかりでレストランなどは混んでいて入れず、一通り店舗内を散策して帰ってきた。

本屋に何を期待するか。自分の場合、鎌倉のたらば書房と何件かの古本屋に通いながら育ってきた。たらば書房という本屋は、外見はとても地味な、いわゆる街の小さな本屋だが、店に入ると小部数しか出ない雑誌や本が仕入れてあったり、文庫本は出版社別ではなく著者別に並べてあったりして、本の探しやすさと仕入れの妙を味わえるお店だった。

鎌倉という土地には、こうした店が成り立つぐらいには読書家がおり、古本屋も含めて地域内での本の循環はとても豊かだった。これらの書店たちでヴァレリーやブランショを追い掛け回していたのが自分の20代前半だった。ノスタルジーもありつつ、こうした街の温度のようなものを少しでも感じられる書店を応援したいという気持ちがある。

一方で代官山にできた蔦谷書店。巨大であり、物量に圧倒される。滅多に売れなさそうなマイナーな本も置いてあるし、本屋という空間をメディアとしてフル活用しようという強い意志を感じる。その一方、損耗率や不発弾の発生率まで計算に含んだシステマチックな爆撃を受けているような印象もある。

大抵の本屋には売れない本が揃った棚がある。むしろそうした本ばかり読んでいる自分にとっては、本屋の良し悪しは誰に必要とされているか分からない本がどれだけ置いてあるかで決まっている。代官山蔦谷では、「売れない棚」は、スペースは余っているにも関わらず手の届かない高さに設置されていたりして、商品というよりは天井まで本棚があることを示すためのオブジェとして置かれているように見えた。

アメリカのカジノでは、テーブル毎に負け率と負けられる金額が設定されており、それらが一定以上の数値になるとテーブルをクローズしてしまう。胴元が勝つように統計的に調整されているのだが、ツタヤでも同様の店舗オペレーションのノウハウがあるのだろうと思う。

東京で大規模店舗を回すにはこうした損切り的なシステムが必要だということは理解できるが、書店というよりはツタヤシステムそのものに見えてしまった。

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