2012年6月28日木曜日

ダウンロード違法化についてのあれこれ

youtubeが定着した頃(とうかモンティ・パイソンのアレ(リンク)から、アメリカではライブで稼ぐモデルへの移行が進んでいて、そうした状況がありながら、業界を上げてやることがテクノロジーの進歩や時代の変化への対応ではなく、失われつつある収益構造の保全であるという辺りで、完全に日本の「音楽業界」は終わってるなと。正直なところ、それ以上の感想はない。そもそも、既に次のフェーズへ移ってしまっているので、今更こんなことをしても何にもならない。

思い返せば、Massive Attackの"100 Windows"をCCCDで買ったときに、何かが失われたような気がして殆ど聴かなかった。作品の出来栄えとは別の次元で、完全に熱を削がれた。CCCDに関しては音質やプレイヤーを壊す可能性が取りざたされていたけれど、一番大きく毀損したのはリスナーへの信頼なのだと思う。

信頼というのは、交差点を渡る際を例に取れば、信号機(社会インフラ)が正常に機能しているという期待や、信号が赤になればドライバー(他プレイヤー)がちゃんと止まってくれるという期待など、幾つかのレイヤーに跨っているものであり、それぞれが正しく機能する必要がある。

アナロジーで語ると様々な語弊が出るのだが、お伊勢さんに参拝するために道を歩いているのがリスナーであり、その途中にあるお茶屋がアーティストであり、今回のDL違法化を推し進めている連中は公共の道のど真ん中に勝手に関所を構えてそこを通る人間から通行料を取っている。関所を構えている連中は、道路そのものに対して何ら貢献をしているわけではない。