2011年12月24日土曜日

2011/12/24 2

自分の悪い癖として、何かを見たときにその裏側の仕掛けや構造にばかり目がいって、思考が抽象的なレイヤに留まったまま帰ってこないことがある。なるべく具体的なもののなかに立ち戻らないといけないなと思う。

2011/12/24

Godspeed you! Black Emperorが再始動していた。ツアーの映像がYoutubeに大量にアップされている。この人達が活発に活動していた2000年頃と比べるとビデオカメラが格段に進化しているので素晴らしい映像がザクザク出てくる。ライブの定番であった、メンバーが撮った映像もはっきりと映っている。

Dead flag blues
彼らは出てきた当初からライブ音源がネット経由で広められていくことに賛成していたと思うが、こうして素晴らしいものが沢山見られるのはとても嬉しい。


最近、グレイトフル・デッドのビジネス論という記事がWIREDに上がっていたのを読んだ。コピーを流通させてライブに人を呼んでくるフリーミアムモデルとしてグレイトフル・デッドの活動を分析した記事だったが、GY!BEの場合には楽曲そのものもフェアユース扱いだったと思う。思想的な部分が直接の理由だろうが、そもそもが到底真似できないスタイルなのでコピーなどされないのである。
Moya
活動停止したのが2003年。それから8年経って、彼らのやり方で情報が流通しやすい状況に変わってきているとは思う。もっとも、活動停止の直接の理由となった、メッセージの伝わりにくさというのはあまり変わっていない気はするのだけれど。

2011年12月23日金曜日

2011/12/22

映画『ソーシャルネットワーク』で一番好きなシーン。レースに励む脳筋どもをミニチュアライズ撮影でラット扱いしていて、デヴィッド・フィンチャーの悪意をバリバリに感じられて楽しい。

2011年12月21日水曜日

2011/12/21

月曜日。金正日の死亡を受けて新橋では号外が配られていた。ニュースとしてはネット上ではとっくの昔(数時間前)に配信されていたもので、速報性という点で号外なんて資源の無駄としか思えなかった。

ところが、色々なところの反応を見ると、号外でそのニュースが現実として感じられたとか、真実性が担保されたという感覚を得ていた人もいたようで、ベネディクト・アンダーソンいうところの出版資本主義の機能を裏打ちしているようで面白かった。

リアリティや現実感といったものは、客観的事実とは別のものだ。ジャングルのなかで孤立していた小野田少尉が1972年まで戦争を継続していたことや、ブラジルの日系人社会がポツダム宣言を受諾した事実を受け入れた「負け組」と、戦争に勝利したと主張する「勝ち組」とで分裂していたことは極端ではあるが例のひとつと言える。

リアリティは、パブリックなものと言い換えることもできる。その形成過程そのものがきわめて政治的なものだ。

情報環境としてのデジタル情報は、リアリティを生み出すという点ではまだ出版に追いついていないか、まだ洗練されていないのだと思う。端末に配信されてくるニュースは個別にしか受け取れず、号外のようにその場に劇場型空間を作りだせるものではない。

SNS等のソーシャルストリームにリアリティ形成の可能性はあるのかも知れないが、ある情報に対する他人の反応や振る舞いを確認するために使われている限りは何の変化も起きないのだろうと思う。

2011年12月20日火曜日

2011/12/20

通勤途中、小さな公園のなかを通る。黄色い落ち葉の横でピンク色のチョークが砕けていた。顔料の鮮やかさが不自然なようであり、自然なようでもあり、飛び散り方が美しかった。

2011/12/19 4

話をしていて、言葉に無駄が多いと思わされる人がいる。行動や身振り手振りにも不要なものが多い。修辞と形容詞といった操り人形は殺してしまえ。

2011年12月19日月曜日

2011/12/19 3

今週はスペイン料理の番。とりとめもない話をするなかで、美術業界に片足を突っ込んでいた頃のことを思い出した。とある作家の手伝いでアトリエの整理や展示会の設置などをやっていた。その界隈に出入りしている人たちの、地味な繰り返し作業をものともせずに続けられるところや、曖昧なもの、中間的なものへの対応の繊細さは会社勤めの人間のなかには滅多にお目にかかれないものであったと思う。

2011年12月18日日曜日

2011/12/19 2

仕事が落ち着いてから酒を飲む回数が増えている。美味しく飲めているのは良いのだけれど、以前あまり飲んでいなかったので自分としては飲み過ぎのような気もする。走って消化しようとも思うが、調子がでない。今年はこのまま終わらせるのが良いのかも知れない。