2011年12月21日水曜日

2011/12/21

月曜日。金正日の死亡を受けて新橋では号外が配られていた。ニュースとしてはネット上ではとっくの昔(数時間前)に配信されていたもので、速報性という点で号外なんて資源の無駄としか思えなかった。

ところが、色々なところの反応を見ると、号外でそのニュースが現実として感じられたとか、真実性が担保されたという感覚を得ていた人もいたようで、ベネディクト・アンダーソンいうところの出版資本主義の機能を裏打ちしているようで面白かった。

リアリティや現実感といったものは、客観的事実とは別のものだ。ジャングルのなかで孤立していた小野田少尉が1972年まで戦争を継続していたことや、ブラジルの日系人社会がポツダム宣言を受諾した事実を受け入れた「負け組」と、戦争に勝利したと主張する「勝ち組」とで分裂していたことは極端ではあるが例のひとつと言える。

リアリティは、パブリックなものと言い換えることもできる。その形成過程そのものがきわめて政治的なものだ。

情報環境としてのデジタル情報は、リアリティを生み出すという点ではまだ出版に追いついていないか、まだ洗練されていないのだと思う。端末に配信されてくるニュースは個別にしか受け取れず、号外のようにその場に劇場型空間を作りだせるものではない。

SNS等のソーシャルストリームにリアリティ形成の可能性はあるのかも知れないが、ある情報に対する他人の反応や振る舞いを確認するために使われている限りは何の変化も起きないのだろうと思う。

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