2012年3月17日土曜日

スマホの身体性

5年ほど使ったNokiaの携帯電話からiPhoneに切り替えたのが2010年。違和感は想像以上だった。

違和感の一番の原因は、画面を見ながらでないとタイプができないという点。長いこと使っていた携帯電話では、ポケットのなかに手を突っ込んだままでもメールを打てたけれど、タッチパネルではそんなことはできない。

スマホと携帯電話を分ける道はどこかといえば、技術的には様々な区別をつけられるだろうけれども、利用者の経験という点でいえば、タッチパネルかボタン入力かという点なのだと思う。身体の延長としての機械ではなく、神経の延長としての機械。外部記憶装置としてのインターネットへの接続。身体化されないデバイス。

こんなことを2年前に考えていた。今更こんなことを書き直すのは、ここで見た視覚障害者用の携帯電話にその記憶を呼び覚まされたから。



自分以外の人がどこまでタッチパネルに不便さを感じているかは分からないが、音声入力が実装されたのも、タッチパネルの不便さがあったのではないかと思う。物珍しいし面白いが、入力する内容を喋らなければならないのも、自分はちょっと恥ずかしい。

触覚という壁を乗り越えるには、点字のようなプラットフォーム(といっても国によって違うらしいが)を介するか、何らかのフィードバックを発するガラスのようなものが鍵になるのだろうと思う。あるいは電脳化。あるいはクローネンバーグの映画に出てきそうな生体デバイス(とびきり気持ち悪いやつ)。