2012年8月24日金曜日

【読書】スティーブ・ジョブス(1/3) OSとしてのカウンターカルチャー

今更ながら、スティーブ・ジョブスの伝記を読みました。読書会に誘われたということで、こういうことでもなければ偉人の伝記なんて滅多に読まない人間なので、いいきっかけだなと。

基本的に、伝記というのは、そこに書かれていないことをいかに補完するかが鍵になると思います。特にこの本の場合、著者がなるべく主観を廃するように気を使っているため色々な部分でツッコミが足りないところがあります。

そのため、幾つかのサブテキストを登場させます。具体的には、ジョブス以前、ジョブス本人についての解釈、そしてアップルという会社を巡るそれぞれについて。

そこら辺は後で書くとして、おおまかな感想としては、想像していたよりも彼は当時のカウンターカルチャーのど真ん中にいたんですね。禅やヨガ、ベジタリアンにのめり込むのは当時の若者らしいというか。

当時の人の多くは LSD でハッピーになって世界人類皆友達、みたいな方向に行ったのに、ジョブスはまったくそんな方向には向かわなかったのは凄いですね。むしろ、人としてどうよというエピソード満載で、若い頃の話は本当に面白い。

ジョブスといえば一般的にはスタンフォード大学の卒業式での"Stay hungry, Stay foolish"という言葉が有名かと思います。本にも登場する通り、これは本人のオリジナルではなく、Whole Earth Catalogという雑誌の最終号から取られています。

ここで登場するのがサブテキストその1、『ウェブ×ソーシャル×アメリカ(池田純一)』。



カウンターカルチャーがいかにシリコンバレーの構想力を鍛え上げたかをテーマとした本で、どちらかといえばGoogleをはじめとしたWeb2.0企業群寄りの立場で書かれている本で、ジョブスが引用したWhole Earth Catalogや発行人のスチュアート・ブランドについては、カウンターカルチャーの重要な参照点として一つの章で丸ごと取り上げられています。

簡単にまとめると、

スチュアート・ブランドはスタンフォードを卒業後、陸軍へ入隊、軍のフォトジャーナリストなります。除隊後は仕事を通じて興味を持ったアートを学ぶべく、サンフランシスコのアートスクールへ通い、その後はアメリカ先住民族を訪れてメディアを複合的に利用したイベントを企画したり、ケン・キージー(『カッコーの巣の上で』の作者)LSDを利用したイベントを企画したりしています。 後者のイベントはNYのアート集団であるUSCOとの協働プロジェクトでした。66年には、宇宙から見た地球の写真をNASAに公開を求める運動を起こします。

こうした経歴を辿った結果として、ブランドはベイエリア周辺の複数のコミュニティ、アート系、サイエンス/テクノロジー系、それらの間を行き交うジャーナリスト/ライター系の人々を結びつけ、カウンターカルチャーの先導者の一人になりました。その後、テクノロジーが商業化の段階を迎えたところでビジネス系の人々も引き寄せることになります。重要なのは、こうした領域横断的な動きはジョブス以前から準備されていたということです。

Whole Earth Catalogはコミューンの活動を支援する情報を提供するために創刊されました。これをジョブスが手に入れるわけです。この雑誌を作る上で、ブランドはバックミンスター・フラーのComprehensive designという考え方の影響を大きく受けています。以下はその説明の引用。

デザイン=設計の際には、全体(comprehensive)を見渡した上で、最小資源で最大の効果を得るものが最良のデザインであるという見方。デザインを単なる意匠として捉えるのではなく、最終的な成果物が利用者に与える効果まで見越した上で行う行為と捉える、より包括的な考え方だ。

フラーの直接的な課題は安価で効率的な住居の大量供給であったため、デザインといっても建築の「設計」と言った方が適切かも知れない。

フラーは、全体を見渡し最適な解決方法を得るためには一度外部へと離脱し、その外部から全体像を眺めた上で検討することが不可欠であり適切な対処法だと考えていた。

ブランドは、こうした考え方にスタンフォード時代に学んだサイバネティクス、システム論を接木してカウンターカルチャーというOSに一定の方向性を与えたというのが私の理解です。相互フィードバックを重視するこの方法は、AppleGoogleの組織文化にも繋がる部分です。そこにジョブスの才能というソフトウェアが乗り、生まれたMachintoshからiCloudまでの一連の製品群は、ユーザの情報環境をトータルで設計したものではなかったでしょうか。

なお、フラーのいう「外部へ出る」ということと、伝記にはあまり詳しくは書かれてませんが、LSD体験とが密接な関係にあったことは、この時代の証言から幾つも得ることができきます。そのあたりは、『オウム真理教の精神史(太田俊寛)』を読むと、この当時のニューエイジ思想のルーツと状況、その後にオウムに至るまでの影響が綺麗に整理されており、大変面白いです。サブテキストのサブテキストになってしまうのであまり深くは突っ込みませんが。

さて、ではジョブスというソフトウェアの中身というのが続き。

2012年8月20日月曜日

【読書】ビジネスは「非言語」で動く

『ビジネスは「非言語」で動く 合理主義思考が見落としたもの』を読了。

著者である「博報堂ブランドデザイン(社名が著者というのは不思議)」でもLEGO Serious Playを使ってワークショップを行なっているのは知っていたので、手に取ってみました。

インサイト調査などを引き合いに出しながら、人々の意思決定に潜んでいる言語化されていない領域の重要性とそれを引き出すための方法を並べつつ、いかに活用していくのかを述べています。こうした内容に不案内な人にとっては、何かと参考になることが多いと思います。

ただ、自分でもブログを書いていて思うことですが、この手の内容の宿命として、本当に面白い部分はパッケージ化できないというジレンマがあります。

この本にあるようなワークショップに参加して、上手くいったダイナミズムを味わったことのある人であれば、まだそれを思い出すこともあるでしょうが、全くゼロだと非常に伝わりにくいです。その点に配慮して、様々な角度から工夫して書かれていますが、その分、少し散漫な印象を受けたことは否定できません。

なお、個人的にこのサブタイトルにはあまり同意できないものがあります。厳密に考える際にはロジックで詰めていくことは必要だし、詰めに詰めた先の跳躍を行う際に、こうした非言語的な部分が必要になるわけで、これらは対立するものではないと思っています。

ここでいう合理主義というのは、正解主義というか、事前にある程度結果の見えることしか行わないための言い訳として持ち出される様々な屁理屈のことであって、閉じた領域における合理性に過ぎず、本来の意味での合理主義ではありません。

本のなかでも強調されていた、合意形成というのは、ロジックを詰めた先にある正解のない領域に進む際にステークホルダーを巻き込んでいく上で必要なものなので、尚更そう思います。