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2012年8月20日月曜日

【読書】ビジネスは「非言語」で動く

『ビジネスは「非言語」で動く 合理主義思考が見落としたもの』を読了。

著者である「博報堂ブランドデザイン(社名が著者というのは不思議)」でもLEGO Serious Playを使ってワークショップを行なっているのは知っていたので、手に取ってみました。

インサイト調査などを引き合いに出しながら、人々の意思決定に潜んでいる言語化されていない領域の重要性とそれを引き出すための方法を並べつつ、いかに活用していくのかを述べています。こうした内容に不案内な人にとっては、何かと参考になることが多いと思います。

ただ、自分でもブログを書いていて思うことですが、この手の内容の宿命として、本当に面白い部分はパッケージ化できないというジレンマがあります。

この本にあるようなワークショップに参加して、上手くいったダイナミズムを味わったことのある人であれば、まだそれを思い出すこともあるでしょうが、全くゼロだと非常に伝わりにくいです。その点に配慮して、様々な角度から工夫して書かれていますが、その分、少し散漫な印象を受けたことは否定できません。

なお、個人的にこのサブタイトルにはあまり同意できないものがあります。厳密に考える際にはロジックで詰めていくことは必要だし、詰めに詰めた先の跳躍を行う際に、こうした非言語的な部分が必要になるわけで、これらは対立するものではないと思っています。

ここでいう合理主義というのは、正解主義というか、事前にある程度結果の見えることしか行わないための言い訳として持ち出される様々な屁理屈のことであって、閉じた領域における合理性に過ぎず、本来の意味での合理主義ではありません。

本のなかでも強調されていた、合意形成というのは、ロジックを詰めた先にある正解のない領域に進む際にステークホルダーを巻き込んでいく上で必要なものなので、尚更そう思います。


2012年8月2日木曜日

非言語的な思考

悩むことと考えることを並べて、悩むのには価値がないので考えるようにしなさい、といった主張に行き当たることがあります。

これはこれで妥当な指摘ですし、「思い悩む」ことには意味がないとは自分も思いますが、では「考える」とは実際にどのような行為なのか。

レゴ・シリアスプレイのワークショップをやっていると、ブロックの使い方のパターンが現れてくる場面に立ち会うことがあります。一度それを見出した人はくり返し使っていくことが多いです。

レゴの場合、作った人がブロックに与えられた意味が機能となりますが、ボルトやナットなどの具体的な物を相手にするときでも、その機能を発端にその使用方法のパターンを発見できます。この場合の思考とは、頭のなかで文章を作ることではなく、特定の機能と機能とを組み合わせていくことですが。

自分の場合でも、エンジニアリング的な仕事をしているときには、目の前にある問題を自分の得意な解決のパターンにいかにはめ込むか、全部が無理でも部分的に適用できないかと試行錯誤を繰り返していました。

これに似た事例として、『技術屋の心眼』という本にエジソンが回転シリンダーを様々な機械に応用しながら発明に使っていった事例が載っています。
「エジソンは、蓄音機、印字式電信機、電気ー機械式テルオートグラフ(文字や絵を電気信号に変えて、離れた場所で再生する装置)、キネトスコープ(映画の前進)などの様々な機械で採用した機械的な組合せを、くり返しくり返し使用した」
この『技術屋の心眼』という本は、技術者の持つ独特の思考法について詳察を重ねていて、とても面白く読めます。その思考についての記述を引用すると、
「技術に携わる人びとが構想している物体の特徴や特質の多くは、言葉では明確に表現することができない。それゆえ、心の中で、視覚的で非言語的なプロセスによって処理されることになる。」
本のタイトルに使われている心眼(Mind's Eye)とはこの「視覚的で非言語的な」プロセスを指します。著者のE.S.ファーガソンは、ここを出発点としてエンジニアが物を作り出していくのプロセスを分析することで、非言語的な思考の本質を探っていきます。

この、非言語的な思考は言語による伝達が困難であるために、それを身につけた人とそうでない人の間に大きな差が生まれます。差というのはアウトプットは当然として、そこから発する市場価値においても。

当たり前のことですが、知識を身につけただけではなく、実際にそれを作って運用させた経験とそこから得られる勘が必要であるということです。

このことは、ある種の技術の継承は実践のなかでのみ行えるものであることを言い表してもいます。医者による手術の技術の継承が、解剖ではなく実際の手術の現場において行われるように(わたしの盲腸切るのに苦労していたあの新米医者は元気かな?)。

2012年4月26日木曜日

LEGO Serious Play™ その4 構成主義、モンテッソーリ教育、Googleの創業者たち

Lego Serious Playについて、これまではその効果や価値について書いてきましたが、源流を辿ってみることにします。

はじめに言ってしまうと、LSPは構成主義 (Constructivism) の考えに基づいて作られたメソッドです。構成主義について真っ向から書こうと思うと哲学の世界に迷い込んでしまって、そうした議論になると自分の手に余るのですが、基本的な考え方としては、人間が自分の環境をどのように認識(構成)していくかを問うたものです。

教育的側面から見ると、学習というものを、教師から生徒への体系だった知識の伝達と考えるか、あるいは生徒が自力で物事を発見していく過程として捉えるか、という問題です。伝統的な学校教育が前者であるのに対して、構成主義は後者の立場にあります。

構成主義における学びとは、学習者があらかじめ持っている知識や興味を出発点として、ある理解を構成する特色と経験との間の相互作用として立ち上がるものとされています。言い換えると、出来上がった客観的、体系的知識を教師が植え付けるのではなく、学習者それぞれが持っている情報と学ぶ内容を紐付け、意味付けていくプロセスということになります。ここでは教師は生徒を先導するのではなく、その学習を促すファシリテーターという位置づけです。

こうした構成主義の考え方について、学習者が体系的な知識を身につけるには十分ではない、という批判や反駁を予想することは簡単にできます。もちろん、現実には体系的学習と、発見的学習とのバランスを見ながら実践していくことになるのでしょう。そして、その実践者としては貧困層や知的障害児への教育を行なっていたマリア・モンテッソーリという人物がいます。

マリア・モンテッソーリの名前を聞いたことのない人でも、彼女の考案したモンテッソーリ教育について聞いたことがあるかも知れません。特にここ数年、Googleのセルゲイ・ブリンとラリー・ペイジ、Amazonのジェフ・ベゾス、wikipediaのジミー・ウェールズなど、今のウェブ業界の巨人達がモンテッソーリ教育を受けていたことは有名な話です。Googleについての秀逸なルポルタージュ、"In the Plex(グーグル ネット覇者の真実)"でもこの事実は繰り返し強調されています。

恐らくこれは偶然ではなくて、以前にも書いたブリコラージュ的な方法論というのは、プログラミングと親和性が高いのですね。そして、レゴに関して言えば、LSPよりも前に、ピアジェと親交のあったシーモア・パパートという学者が、レゴ・マインドストームというレゴとプログラミングを組み合わせたおもちゃを開発しています。

この人がまたMITの教授であったことからも、アメリカの知的潮流の底流を見たような思いがします。実はわたしもモンテッソーリ教育を受けたクチですが、構成主義についてももLSPのトレーニングを受けてから知ったものですし、LSP経由でもう一度モンテッソーリに戻ってくるというのは、とても奇妙な感じがします。宿命的なものすら感じられるというか。

2012年4月11日水曜日

LEGO Serious Play™ その3 偶然と模倣のあいだ

シリアス・プレイって、何だか妙な表現ですよね。なんだ?シリアスなプレイって。ふざけてるのか。責任者を出せっ。

この場合のSeriousは、本気とか本格的といった意味合いで、真面目とか厳粛とかいう意味ではありません。Playの「遊び」は、機械の可動範囲などの遊びや、レクリエーションを意味するものではなく、子供のやる遊びです。ただし、「遊び」とは何か、ということになると、明確に応えるのが難しいものでもあります。反対側から眺めてみると、ブライアン・サットンスミスによれば、遊びの対義語とは、仕事や業務ではなく抑圧だそうです。

「遊び」と人間の関係といえば、ホイジンガのホモ・ルーデンス論やロジェ・カイヨワが思い浮かびます。カイヨワは『遊びと人間』において、遊びを下記の4つの要素に分類しました。

  • アゴン:競争
  • アレア:偶然
  • ミミクリ:模倣
  • イリンクス:眩暈(めまい)

競争と模倣は何かを構築するものであり、偶然と眩暈は状況を流動化させるものです。どこか左脳と右脳の違い、あるいは前回の記事のエンジニアリングとブリコラージュの違いを思い起こされます。ちなみに、分類しているといっても、特定の遊びがどれかに属しているということではなく、どの要素を持っているかを把握するための取っ掛かりとするものです。

レゴ・シリアス・プレイに関して言えば、偶然と模倣の間を行き来しています。意図せずに使ったブロックの色や形に意味が見出されたり、作ったモデルのなかに自分の考えを発見したり、他の人が作ったモデルとの関連性を発見する過程には偶然の力が発揮されています。また、モデルを作った後で何を意味しているかを説明するとき、モデルを個人の喜びなどの説明している内容に模倣させています(その相手は自分だったり、隣の人だったりします)。

前回紹介したブリコラージュの実例には、流動化した状況(洪水)のなかで既存のものの新たな使い方を発見したものが幾つもあります。その発見の過程は遊びと呼べるものもあったことと思います。

絶対、何度も浮かべたでしょうね
子供は遊びの天才であるとよく言われます。これは自分の手にしたモノが何であるかという認識が、大人ほど堅固でないことによるのでしょう。そして、遊びを通してあれやこれやのモノが特定の目的、手段のために作られた道具であり、自分が身を置いている環境がそうした道具たちの関係性の総体であることを「発見」していきます。

ここで子供の遊びと大人の遊びの差が何なのかと言えば、ゼロから環境を発見していくのか、それとも一度出来上がった認識をリセットしながら次のステップへと進んでいくかの違いなのだと思います。そのために、大人はより多くのエネルギーを消費(ガソリンとかスポーツドリンクとか)するのかも知れません。ともかく、発見のプロセスであることには変わりはありません。

ただし、それには今の状態(自覚しているものも、まだ形になっていないものも)を把握する必要があり、とりわけ言語化されていないものに形を与える必要があります。レゴのブロックはそのための仕掛けの一つということですね。

2012年4月9日月曜日

LEGO Serious Play™ その2 ブリコラージュでやってみる

LEGO Serious Play™をどういった場面で使うかという点について。わたしはLSPで食っていく立場ではないので(とりあえずは)、あえてビジネス的な場に限定はしません。

レゴのブロックを作り変えながら自らの思考を発見していくプロセスは、根本的にはブリコラージュ的な活動であると考えています。ブリコラージュは、理論と計画に基づいてものを作っていくエンジニアリングに対置される概念で、そこら辺にある有り合わせのもので試行錯誤しながらものを作っていくことを指します。

元はフランス語で、レヴィ・ストロースが『野生の思考』において・・・という話をする気はありません。『OL男子の4コマ書評』というブログに、異様に分かりやすい上に的確な記述があるのでそっちを読んていただけると、より理解が深まると思います。

また、ブリコラージュでGoogleイメージ検索をすると、こういう画像が出てきました。



やはりブリコラージュを扱った記事(リンク)に載っていた、洪水のときにタイの人々があり合わせのもので作ったもののひとつです。こういうものを見ると、わくわくしませんか?

海外サイトですがこちら(リンク)でも大量に見られます。街が水没しているのに、写真に出てくる人たちが妙に楽しそうに見えるのは、こういう創意工夫をやっているおかげなのではないかと思えたりします。

しかし、世間を見渡すとエンジニアリング的な方法や発想(無駄なく、効率的に、確実に)の方が一般的であるように思えます。確かに現代社会を維持しているインフラ(原発も含め)や、飛行機や自動車などはエンジニアリングの賜物ですし、身近にある大量生産品はエンジニアリング的な計画に基づいて生産されています。それでも、新しいものを作るときにはブリコラージュ的な試行錯誤(ラピッド・プロトタイピングなど)を経ているものだと思います。

何を売るかが明確な時代には、できたものをエンジニアリングによって再生産する能力が重視されていました。ただ、今はエンジニアリングが成り立つ条件そのものが流動的になっているため、解決されるべき課題を発見したり、解決策を発見することが重要になっています。そして、往々にして発見というものは、既にそこにあるもののなかにあったりします。

話をLSPに戻すと、LSPでは頭で考えるのではなく、モデル(手)で考えるという言い方をします。講習を受けたとき、本当にブロックを使って説明できるのか不安がありましたが、意外とスムーズにできて驚きました。そもそも、ブリコラージュというのは人間が本来的に持っている能力です。その能力を個人のなかに「発見」し、集団で発展させていく方法論が組み込まれている点がLSPの優れている点なのだと思います。

こうした利点がフルに発揮される場として、アジャイル開発を行いたいソフトウェア会社や、広告会社の企画部隊などが思い浮かびます。実際にロバート・ラスムセン・アンド・アソシエイツのウェブにある実績(リンク)を見ると、近い分野が挙がっています。

組織としてのクリエイティビティというのが、ひとつ鍵なのでしょう。一方で、ブリコラージュ的な知性や方法論を生徒に身に着けてもらいたいと考える教育機関があれば、そこでも実行できることはあると思います。

個人的には、こうした学習的側面や、LSPの持つまだ言語化されていないものに形を与えるという機能に注目しています。

※どうやら引用した画像はタイではなくベトナムのようなのですが、ブリコラージュであることには変わりないのでそのままにしています。
※蛇足ながら、わたしはエンジニアリングの人だと思われることが多いのですが、自分では完全にブリコラージュ型だと思っています。「何かを作るときにはあらかじめ人に説明して、有言実行しなさい」といったお説教を食らったことも何度かありますが、どう落着するか分からないことをやっているのに、そんなのは無理だなあと思ったことがあります。だいたいそういうお説教をかます人に限って、出来合いのものの消費者でしかなかったりするのですが。問題解決の方法も、システムやツールによるものだけとは限りません。まずは何が問題なのかを把握した上で、その思考の枠から外れることが肝心なのだと思います。

2012年4月6日金曜日

LEGO Serious Play™ってなんだ?

3月末に、ボストンにてレゴ・シリアスプレイ(Lego Serious Play™。以下LSP)の研修を受け、公認ファシリテーターとしての認定を取得してきました。

LSPってどんなの?という疑問が湧くと思いますが、こんなものです。

どーん!

お分かりいただけましたでしょうか?いや、答えは聞くまでもないのですが、本当なら実際にやっていただくのが一番良いものです。というか、体験しないと分かりません。残念ながらそれはこの場ではできないので、説明していきます。

実は、R25で紹介されていたことがあります(こちら)。公式に近い情報としてロバート・ラスムセン・アンド・アソシエイツのページがあります(こちら)。だいたいのところは、このページを読めば把握できると思います。ただ、ここでは自分の考えの整理のため、という点もあって深掘りしていきます。ちなみに、研修は当のロバート・ラスムセン氏から受けました。そのまま引用します。
レゴ・ブロックを道具に使う、ユニークなアプローチで、 
・組織のビジョンや将来像創り 
・新たな戦略立案
・創造性の開発 
・個人のキャリア開発 
・チームビルディング 
といった、組織の抱える課題を可視化し、組織に内在する知恵を結集して、解決へと導きます。

というプログラムです。製品や何らかの分析手法ではなく、課題解決のためのプログラムです。また、コンサルティングではなくファシリテーションの手法です。引用された課題にLSPというプログラムが有効な理由は幾つか挙げられますが、ブロックを使って何らかのモデルを組み立て、それに対して自分なりの意味を与えること、やっていて楽しいことが核になっています。

 意味を与える

言語化とも言った方が良いかも知れません。人は自分の考えていることを完全に言語化できているわけではありません。意識下で渦巻いている、未整理の、意味付けられていない何かを、ブロックを組み替えながら探り当て、言語化することができます。また、上手く言語化できないものをモデルで表現することもできます。モデルを共有することによるコミュニケーションを通して、チームビルディングや戦略構築、状況把握に役立ちます。

 - チームビルディング

言うまでもなく、コミュニケーションはチーム作りの重要な要素です。しかし、いざ自分の周囲を見渡してみると、自分でやっているつもりのことと、実際にやっていることとは異なる場合が多いです。コミュニケーションについても同じことが日々起きています。言ったつもりのことと、伝わったこととは往々にして異なります。

LSPを使うと、自分の考えを言語とモデルの両面で表すことができ、また他人のモデルと組み合わせることでどのようなストーリーを描かれるかが見えるようになります。結果がどう出るか分からないこと(新事業など)に乗り出すときには、どこかへ向かうことを説得するよりも合意形成の方が重要になってきますが、目標とストーリーの共有によってそれを図ることができます。

 - 戦略の構築、動的な把握

戦略とは、「何をやるか」であり「どうやるか」ではない、というのはよく言われることですが、何をやるかが決まっても、具体的な方法論や必要なリソースが欠如しているために最初から成り立たないということもあります。

LSPの発展的な使い方として、ある目標に対する個々人の提供できる価値や、目標達成を促進したり阻害している要素もモデルで表し、それらの関連性と繋がりの強さを表すものがあります。企業戦略というと、BSCやSWOT分析などの手法が一般的であると思います(サンプル)。違いといえば、BSCが戦略要素を静的に記述しているのに対して、LSPでは動的に把握できるものになっています。

物事が計画した通りに進んでいれば良いのですが、なかなかそうはいきません。コントロール不能なものからすぐに潰せるものまで、色々なリスクや促進要因が潜んでおり、それらが絡み合って状況を作り上げているのが通常かと思います。その状況の変化に対して、何が起きるのか、何ができるのかを把握できるようになります。

 楽しい

ブロックをいじりながら何かを考えるのは楽しいです。シリアス「プレイ」という名前はこの点から来ていると思います。右脳の活用というのは、デザイン思考への関心が高まるにつれ、色々なところで取り上げられるテーマとなっていますが、手を遊ばせることで右脳から出てきた何かをキャッチして左脳の論理に乗せていくことで、右脳左脳の両方をフル活用することになります。これはとてもクリエイティブな活動です。チームで取り組むことで、多様な意見を取り入れられるようになる点、そして強制するのではなく自主的な参加を期待できます。

 - 全員参加

ダメな会議でよくあるパターンは、特定の人が大演説をぶちかまして残った人は黙って終わるのを待っているというものです。LSPに限らずファシリテーションにおいては避けるべき状況ですが、ブレインストーミングなどで出てきた意見もヒエラルキーによって排除されたりすることがあります。こうした場合、最終的には均一な意見しか出てこなくなります。

全員がモデルを作ってそれに意味づけを行う場合には、最初からバラバラです。上手くまとめられるかはファシリテーターの手腕によるところもありますが、基本的には全員が100%参加するということになります。ここでの基本的な発想は、多様性から利益を得るということです。

具体的には、前段の戦略構築などの場面においては、人によって見ているリスクやチャンスに対する評価が異なります。自分では思いもつかなかったようなことを見ている人もいるでしょう。こうした意見を集約することで組織としての目標に確度を高めることができるようになります。

 - 自主的な参加

やっていて楽しければ、強制されなくてもずっと続けるのが人間です。これは前述の戦略のところでもありましたが、ある目標に対して個々人が貢献できる価値を明確にすることも過程の一部にあります。

会社内での不満のなかで多いのは、給料や福利厚生のことよりも自分が何を求められているのかが分からないことだという調査結果を読んだことがあります(リチャード・ワーマン著「それは情報ではない」)。逆に求められていることが明確すぎても、決まりきった役割しか求められないのだという不満が出ることもあるでしょう。

上司は部下に何を期待すれば良いのかよく分からず、部下は何で貢献できる(したい)のかが明確でない。これはよく見られる状況だと思います。ここで、まず自分の提供できる価値(必ずしも具体的なスキルでなくて良い)という点を基点に考えられるようになります。

・・・

ざっと、LSPを用いることによってもたらされる価値、利点を書いてみました。もちろん、万能的に使えるというものでもありません。どういった場面で、どういった人や組織に使うのが良いのかを次以降では考えていきます。