2012年4月9日月曜日

LEGO Serious Play™ その2 ブリコラージュでやってみる

LEGO Serious Playをどういった場面で使うかという点について。わたしはLSPで食っていく立場ではないので(とりあえずは)、あえてビジネス的な場に限定はしません。

レゴのブロックを作り変えながら自らの思考を発見していくプロセスは、根本的にはブリコラージュ的な活動であると考えています。ブリコラージュは、理論と計画に基づいてものを作っていくエンジニアリングに対置される概念で、そこら辺にある有り合わせのもので試行錯誤しながらものを作っていくことを指します。

元はフランス語で、レヴィ・ストロースが『野生の思考』において・・・という話をする気はありません。『OL男子の4コマ書評』というブログに、異様に分かりやすい上に的確な記述があるのでそっちを読んていただけると、より理解が深まると思います。

また、ブリコラージュでGoogleイメージ検索をすると、こういう画像が出てきました。



やはりブリコラージュを扱った記事(リンク)に載っていた、洪水のときにタイの人々があり合わせのもので作ったもののひとつです。こういうものを見ると、わくわくしませんか?

海外サイトですがこちら(リンク)でも大量に見られます。街が水没しているのに、写真に出てくる人たちが妙に楽しそうに見えるのは、こういう創意工夫をやっているおかげなのではないかと思えたりします。

しかし、世間を見渡すとエンジニアリング的な方法や発想(無駄なく、効率的に、確実に)の方が一般的であるように思えます。確かに現代社会を維持しているインフラ(原発も含め)や、飛行機や自動車などはエンジニアリングの賜物ですし、身近にある大量生産品はエンジニアリング的な計画に基づいて生産されています。それでも、新しいものを作るときにはブリコラージュ的な試行錯誤(ラピッド・プロトタイピングなど)を経ているものだと思います。

何を売るかが明確な時代には、できたものをエンジニアリングによって再生産する能力が重視されていました。ただ、今はエンジニアリングが成り立つ条件そのものが流動的になっているため、解決されるべき課題を発見したり、解決策を発見することが重要になっています。そして、往々にして発見というものは、既にそこにあるもののなかにあったりします。

話をLSPに戻すと、LSPでは頭で考えるのではなく、モデル(手)で考えるという言い方をします。講習を受けたとき、本当にブロックを使って説明できるのか不安がありましたが、意外とスムーズにできて驚きました。そもそも、ブリコラージュというのは人間が本来的に持っている能力です。その能力を個人のなかに「発見」し、集団で発展させていく方法論が組み込まれている点がLSPの優れている点なのだと思います。

こうした利点がフルに発揮される場として、アジャイル開発を行いたいソフトウェア会社や、広告会社の企画部隊などが思い浮かびます。実際にロバート・ラスムセン・アンド・アソシエイツのウェブにある実績(リンク)を見ると、近い分野が挙がっています。

組織としてのクリエイティビティというのが、ひとつ鍵なのでしょう。一方で、ブリコラージュ的な知性や方法論を生徒に身に着けてもらいたいと考える教育機関があれば、そこでも実行できることはあると思います。

個人的には、こうした学習的側面や、LSPの持つまだ言語化されていないものに形を与えるという機能に注目しています。

※どうやら引用した画像はタイではなくベトナムのようなのですが、ブリコラージュであることには変わりないのでそのままにしています。
※蛇足ながら、わたしはエンジニアリングの人だと思われることが多いのですが、自分では完全にブリコラージュ型だと思っています。「何かを作るときにはあらかじめ人に説明して、有言実行しなさい」といったお説教を食らったことも何度かありますが、どう落着するか分からないことをやっているのに、そんなのは無理だなあと思ったことがあります。だいたいそういうお説教をかます人に限って、出来合いのものの消費者でしかなかったりするのですが。問題解決の方法も、システムやツールによるものだけとは限りません。まずは何が問題なのかを把握した上で、その思考の枠から外れることが肝心なのだと思います。

0 件のコメント:

コメントを投稿