2012年1月3日火曜日

2011年

   忘れねばこそ 思い出さず

吉原の高尾太夫が伊達綱宗へ贈った唄の一部である。寵愛する高尾太夫に久しぶりに会ったとき、綱宗は自分のことを思い出すことがあったかと尋ね、そんなことはなかったと返されてがっかりして帰る。その帰路の途中で届けられてきたものである。野暮なことは聞くものではない。野暮な返し方もまたするものではない。

とある噺家は「思い出すよじゃ惚れよが薄い」とまとめた。現代語訳すれば、「片時も忘れたことはありませんので、思い出すこともありません」となる。どうしてこんなに味気なくなるのか。全文引用する。
ゆうべは波の上の御帰らせ、いかが候。 
御館の御首尾つつがなくおわしまし候や。 
御見のまま忘れねばこそ、思い出さず候。
うっすらと熱と湛えたこの唄とはまた異なった形で、2011年に起きた出来事の幾つかは、思い出されないまま、日々の営みのなかに様々な形で顔を出してくるのだろうと思う。

地震の後で突然、Living well is the best revengeという言葉を思い出した。スコット・フィッツジェラルドが『夜はやさし』の主人公夫妻のモデルにした、マーフィー夫妻の生活を描いた本の題名である。邦題は『優雅な生活が最高の復讐である』。R.E.M.にも同名の曲がある。元はスペインの諺で、当のジェラルド・マーフィー氏が発見したことになっている。何に対する復讐か。

人間の尺度を超える出来事に対して、人間は無力である。年が変わったからといってその点は変わらない。良かれ悪しかれ、出来事は時間や距離や統計などとは無関係、無意味にただ起きる。そこには何の意思の働きもない。そこに何かを読み取るのは人間の勝手である。ただし、人為の及ぶ事柄についてはその限りではない。


復讐とは、諦めないことの裏返しである。わたしはせめてもの抵抗と呼ぶ。

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