2012年2月10日金曜日

タフテのVisual Explanations

近所の古本屋でタフテの本を売っていた。タフテのことは名前を知りつつ、まともに読んだことはなかったが、立ち読みしてみたところ美しい図説が沢山載っていたので、解説だけ読んでも良いかと思って買ってしまった。

副題にImages and Quantities, Evidence and Narrativeとある通り、情報を伝えようとする際に用いられる要素全てが取り上げられている。読んでみると、これがとんでもなく濃密。テーマに沿って様々な図が引用されているのだが、距離を示す情報の例として中国の古地図とローマからトレドまでの尺(?)を並べてみたり、写真と人名の対応表とカリグラフィのルールを並べるなどして、情報の記述法を整理しながらデータの精度、粒度を下げるような図解の方法や記述に容赦なくメスを入れていく。

左上が中国の古地図、右がローマからトレドへの距離

この本のなかで世間に知られている箇所は、1979年に起きたチャレンジャー号爆発事故に関して、情報伝達の際に明確さが足りていればあの事故を防げた可能性があると述べている二章だろう。事故についてはWikipediaなどで詳しく記述されているが、Oリングに関する問題が低温と結びつけられていないどころか、Oリングに問題があったにも関わらず打ち上げに成功した事例と受け取られかねないものもあり、これらの明確さを欠いた報告書(事故後のものも含む)に対するタフテの批判は、かなり怒りも込められているのだと思うが、文体含めて非常に強くて鋭いものとなっている。

左上の図に載っている損傷度が右では無くなっている

3章以降はまだ読んでいる途中だが、自分の仕事にも関わるところで、トラヤヌス帝の戦勝記念塔に刻まれた文字が引用されていて、とても強い印象を受けた。ここで見られるが、2000年前にこうした美しい文字が刻まれていたことに驚かされる。この文字を元にtrajanという書体が作られたことを考えても、今も使われている書体の原型を見ているような思いに駆られる。

特筆すべき点として、単語と単語の間にはinterpointという小さな点が刻まれていることが挙げられる。現在では単語と単語の間にはスペースが用いられているが、羊皮紙や紙、デジタルデータとは異なり、石の上の限られたスペースに文字を刻むときにはこうした記号を用いるのが一般的だったのだろうか。

記念碑の文字

Microsoft WordやOpenOfficeなどのワープロソフトには、半角スペースを表す記号として中黒よりも小さな点が用いられている。全角のスペースは□である。点である理由を深く考えることもなかったが、恐らくこれが原型なのだろう。カリグラフィは過去に学ぶ点の多い分野だが、石の文明の持続力には感じ入るものがある。

(その気になったら続きを書く)

2012年2月4日土曜日

コズモポリス

ドン・デリーロの『コズモポリス』がデヴィッド・クローネンバーグによって映画化が進んでいると聞いたのは2011年の初め。

ドン・デリーロの小説からは映像的な印象を強く受ける。運動と静止、視線の移動と突然の停止を巧みに織りまぜた情景描写、イメージを連続的に連ねていくスタイルで、物語性は決して高くない。それどころか、かなり読み込まないと筋を追うことすら難しいこともある。このスタイルとテーマとが完全な一致を見せてメガノヴェルでやりきったのが『アンダーワールド』であり、マンハッタン47番街の24時間を封じ込めたのが『コズモポリス』である。

クローネンバーグといえば『ビデオドローム』や『イグジステンス』に登場するような、ドロドロネバネバな肉体の変容のイメージが強いが、最近の『ヒストリー・オブ・バイオレンス』や『イースタン・プロミス』といった作品では精神の変容に焦点が当てられている。とはいえ、内なる異形のものを取り出す手際と表現力は、現役の映画監督のなかで一番高いのではないかと思う。

ヒストリー・オブ・バイオレンス

イースタン・プロミス

『コズモポリス』そのものの作品からして、最近のクローネンバーグの感心に沿った映画になるのではないかと思う。岡崎京子の『ヘルター・スケルター』が映画化されるというニュースがあったが、あの作品に最も合った監督はクローネンバーグではないかと思う。

2012年1月31日火曜日

Lana Del Rey

Lana Del Reyのデビューアルバム、Born to Dieを買った。彼女のことを知ったのは、恐らく多くの人と同じようにyoutubeでVideo GamesのPVを観たのがきっかけだった。


本人の服装、登場する小道具、曲調や画質の粗さも相まってデヴィッド・リンチの映画に登場する、敗北した女優たちを筆頭としたヴィンテージ的なハリウッドのイメージが思い起こされる。同じことを思った人は他にもいたようで、インタビューでリンチからの影響について聞かれていた。

セルフ・プロデュースっぽい雰囲気や、作りこまれた末に醸し出されるフェイク感など、今のアメリカのポップカルチャーのど真ん中を撃ちぬいているので、かなり売れるんじゃないかと思う。どこか整形でもしていれば完璧。ただ、こうしたものが受けてしまうようでは、どこか文化的などん詰まりのようなものが頭をよぎる。

2012年1月26日木曜日

標準化をしたいのは誰か

業界のカンファレンスで2日感、ミッドタウンにいた。プライベートで来る場合と、仕事で来る場合とで行く場所が全く異なるので同じ場所のように見えなかった。

自分の属している業界は、企業のグローバル展開のお手伝いをしているのだが、顧客である日本企業の体制が、口で言うのとは裏腹にグローバル対応のそれからは距離があることが多い。端的に業務の標準化ができていない。本来の意味での組織のリストラクチャリングを行なっているのか疑問である。こんなことは、あちこちで指摘されているだろうが。

カンファレンスの主題は、業務の標準化のためのXMLベースのDTDとそれに対応したシステムの導入事例と運用の例である。欧州や米国では導入が進んでいるものだが、事例が多く紹介されたということもあり、話が細かな実践のことに終始して標準化を推し進める意思決定を行った人間や、その背景がほとんど登場しなかった。そのため、この手のカンファレンスにありがちな、『会議のテーマとして取り上げられたことから派生する二次的な問題の吟味に集中するようにすると、土台となっているテーマが既成事実になる(歴史の中の『死新約聖書』/加藤隆 p230)』ことの実践の場となっていた。

はじめは聴衆(主催者から見れば顧客)に気を使っているのかと思ったが、どうやら実践者とは別に意思決定者がいる前提が抜け落ちているようだった。端的に残念である。

2012年1月23日月曜日

Kindle購入記

色々な動機や理由、タイミングが良かったのでKindle4 を買った。円安、英語の勉強、日本語版が絶版の本、Apple製品ばっかりも嫌だ、といってそこらの電子ブックリーダーはピンと来ない。 送料混みでおよそ10,000円。

結論からいえば、とても満足している。なんせ本は安いし、E Inkは読んでいて目が疲れないし、何よりも恐ろしく軽くて小さい。一応ウェブブラウザもあるが、モノクロで表現力に乏しいのであまり使わない。Kindle Fireなどはカラーだが、勉強用ということで敢えて機能に制限のあるものにした。

注文する上で少し注意が必要なのが、DHLで届けられる点。再配達の依頼は電話のみで、夕方以降は受け付けていないし、再配達そのものも午後4時ぐらいまでしか受け付けていない。おまけに日曜の再配達も行っていない。結局、自分のマンションにある宅配ボックスに届けてもらったが、最初からそこに入れておくという機転も利かない。どうも色々調べていると、日本では法人向けがメインで個人向けには配達はあまり行っていないらしい。

ドイツポストの傘下らしいということで何となく納得していたのだけれど、深センにあるらしいKindle工場から東京までは1日で着くのに、そこから自宅までが遠いというラストワンマイルの課題がいかにもグローバル企業という感覚がある。

2012年1月17日火曜日

先のことを考える

5年後、10年後を考えている。来るべき未来について。ヴィジョンが欠けているなら、そこにいるべきではない。

2012年1月7日土曜日

エル・ブリの秘密

銀座シネパトスにて、『エル・ブリの秘密 世界一予約のとれないレストラン』を観てきた。以下、ネタバレ的な内容を含むのでご注意を。


エル・ブリについては名前を聞いたことのある程度で、それ以外では、日本料理に影響を受けているとか、斬新なプレゼンテーションで食べる人の度肝を抜くとか、菊地成孔の本『スペインの宇宙食』というタイトルはここから取られたとか、エピゴーネン的なレストランが増えているといった程度の断片的な情報を持っていただけである。

映画はエル・ブリが新メニュー開発のための休みに入るところから始まる。様々な食材を様々な方法で調理し、メニューに組み込める食べ方や使い方を探求していく。ここでの様子は調理というよりも完全に実験である。通常であれば調理には使わないようなものも登場するが、それも料理を突き詰めていった先にある、合理的な選択の結果であることが後で分かる。

この段階で興味深かったのは、"実験結果"のレシピのデータが飛んでしまったときに、記録は紙に残してあるから大丈夫だと主張する料理長と、データで残しておくことにこだわるフェランとのぶつかり合いだった。

料理人はそれぞれ、素材と調理法の組み合わせのデータベースが個々人のなかで出来上がっているものだと思う。しかし、既存の料理を乗り越えていこうというエル・ブリのやり方のなかでは、過去に自分たちが発明した方法であっても二度と適用しない。こうした背景もあり、この場面はフェランがデータで残した実験記録を過去のそれと照らし合わせながら、何らか自分なりにインデックスし直していることを匂わせるものだった。

"実験"が終わり、シーズン開幕ということでレストランに戻ってくる。この段階でも、ある程度の方向性は見えているものの、具体的なメニューは決まっていない。その上、新人を含めたレストラン全員のチームワークも料理と同時に作り上げていく。ここでもフェランは全体に檄を飛ばす程度で、具体的なオペレーションには介入せずに料理長たちに任せている。

すったもんだしながらメニューができていき、エル・ブリがオープンしてからも、お客の反応を見たり、料理を出す横でフェランが試食しながら調理の微調整を行っていく。事故のような発見もありつつメニューが完成する(写真に撮られて固定される)。

全体を通して印象深いのが、フェランのコントロールの効かせ方だった。実験段階では電話ばかりしていて、料理長たちのアイデア出しや即興に寄り添いつつ、方向性を指し示す程度の関わりだった。求められない限りはそれほど手を突っ込んでいない。オープン前も、メニュー作りとオペレーション体制作りの二方面作戦だがあれこれ指示を飛ばしたりはしていない。最終のメニュー確定という段階になって、ようやく仕上げに腰を上げるという具合だった。

世の中、色々なマネージャーがいると思うが、このように自分のチームを信じられるということ自体がフェランの稀有な人間性を表していると思う。勿論、そこには目に見えないコントロールが張り巡らされていて、放置しているわけではないのだろう。この点は全体を通しての料理長たちの痛いほどの緊張感から十分に伝わってくる。

これに近い姿として、イタイ・タルガムによる指揮者の話のTED Talkを思い出した。プロセスを作り、クリエイティビティの発揮される場の条件を準備するカルロス・クライバーの方法や、無為の為とも言えるレナード・バーンスタインの方法である。

映画のなかで、エル・ブリに食事をしに来たお客さんが料理を出されたときや食べたときの反応を示す場面は1カットもない。料理よりもクリエイティブが駆動するプロセスに集中している。このストイックさが潔くてとても良い。