人間はランダムネスそのものは認識できないわけで、ランダムなものを、どうやって認識できる形に落としこむかは意図的にランダムネスを用いる場合には重要なことになると思う。
2012年8月15日水曜日
ランダムネス
人間はランダムネスそのものは認識できないわけで、ランダムなものを、どうやって認識できる形に落としこむかは意図的にランダムネスを用いる場合には重要なことになると思う。
2012年8月2日木曜日
非言語的な思考
悩むことと考えることを並べて、悩むのには価値がないので考えるようにしなさい、といった主張に行き当たることがあります。
これはこれで妥当な指摘ですし、「思い悩む」ことには意味がないとは自分も思いますが、では「考える」とは実際にどのような行為なのか。
レゴ・シリアスプレイのワークショップをやっていると、ブロックの使い方のパターンが現れてくる場面に立ち会うことがあります。一度それを見出した人はくり返し使っていくことが多いです。
レゴの場合、作った人がブロックに与えられた意味が機能となりますが、ボルトやナットなどの具体的な物を相手にするときでも、その機能を発端にその使用方法のパターンを発見できます。この場合の思考とは、頭のなかで文章を作ることではなく、特定の機能と機能とを組み合わせていくことですが。
自分の場合でも、エンジニアリング的な仕事をしているときには、目の前にある問題を自分の得意な解決のパターンにいかにはめ込むか、全部が無理でも部分的に適用できないかと試行錯誤を繰り返していました。
これに似た事例として、『技術屋の心眼』という本にエジソンが回転シリンダーを様々な機械に応用しながら発明に使っていった事例が載っています。
この、非言語的な思考は言語による伝達が困難であるために、それを身につけた人とそうでない人の間に大きな差が生まれます。差というのはアウトプットは当然として、そこから発する市場価値においても。
当たり前のことですが、知識を身につけただけではなく、実際にそれを作って運用させた経験とそこから得られる勘が必要であるということです。
このことは、ある種の技術の継承は実践のなかでのみ行えるものであることを言い表してもいます。医者による手術の技術の継承が、解剖ではなく実際の手術の現場において行われるように(わたしの盲腸切るのに苦労していたあの新米医者は元気かな?)。
これはこれで妥当な指摘ですし、「思い悩む」ことには意味がないとは自分も思いますが、では「考える」とは実際にどのような行為なのか。
レゴ・シリアスプレイのワークショップをやっていると、ブロックの使い方のパターンが現れてくる場面に立ち会うことがあります。一度それを見出した人はくり返し使っていくことが多いです。
レゴの場合、作った人がブロックに与えられた意味が機能となりますが、ボルトやナットなどの具体的な物を相手にするときでも、その機能を発端にその使用方法のパターンを発見できます。この場合の思考とは、頭のなかで文章を作ることではなく、特定の機能と機能とを組み合わせていくことですが。
自分の場合でも、エンジニアリング的な仕事をしているときには、目の前にある問題を自分の得意な解決のパターンにいかにはめ込むか、全部が無理でも部分的に適用できないかと試行錯誤を繰り返していました。
これに似た事例として、『技術屋の心眼』という本にエジソンが回転シリンダーを様々な機械に応用しながら発明に使っていった事例が載っています。
「エジソンは、蓄音機、印字式電信機、電気ー機械式テルオートグラフ(文字や絵を電気信号に変えて、離れた場所で再生する装置)、キネトスコープ(映画の前進)などの様々な機械で採用した機械的な組合せを、くり返しくり返し使用した」この『技術屋の心眼』という本は、技術者の持つ独特の思考法について詳察を重ねていて、とても面白く読めます。その思考についての記述を引用すると、
「技術に携わる人びとが構想している物体の特徴や特質の多くは、言葉では明確に表現することができない。それゆえ、心の中で、視覚的で非言語的なプロセスによって処理されることになる。」本のタイトルに使われている心眼(Mind's Eye)とはこの「視覚的で非言語的な」プロセスを指します。著者のE.S.ファーガソンは、ここを出発点としてエンジニアが物を作り出していくのプロセスを分析することで、非言語的な思考の本質を探っていきます。
この、非言語的な思考は言語による伝達が困難であるために、それを身につけた人とそうでない人の間に大きな差が生まれます。差というのはアウトプットは当然として、そこから発する市場価値においても。
当たり前のことですが、知識を身につけただけではなく、実際にそれを作って運用させた経験とそこから得られる勘が必要であるということです。
このことは、ある種の技術の継承は実践のなかでのみ行えるものであることを言い表してもいます。医者による手術の技術の継承が、解剖ではなく実際の手術の現場において行われるように(わたしの盲腸切るのに苦労していたあの新米医者は元気かな?)。
2012年7月30日月曜日
FUJI ROCK FESTIVAL 2012 参戦記
フジロックフェスティバルに行ってきたので、その記録です。出発してからチケットを忘れているのに気付いて一度家に引き返したり、サングラスが壊れるなど小トラブルが続きましたが、どうにか無事に乗り切りました。
暑いのがずっと苦手だったのに、今回参加したのはとにかく復活したストーン・ローゼズを観るため。全てはこの一点です。今回ローゼズを見られなかったら一生後悔すると思ったから。
入場に時間がかかったせいで、お目当てにしていたMouse on the keysは見逃してしまいました。一緒に行った友人が、まずはJah Wobbleを知人からお勧めされたとのことで、当てがないのでついていくことに。
THIRD COAST KINGS
オレンジに向かう途中、ホワイトステージを通りかかり、そのまま吸い込まいました。そこで演奏していたのがこの人たち。他にも吸い込まれてくる観客多し。濃厚でいながら端正なファンクで、相当テクもありそうなんですが自己満足には走らずに観客をどんどん盛り上げていて楽しかったです。
Jah Wobble & Keith Levene – Metal Box In Dub
さて、友人がお薦めされていたこれなんですが、正直、書きづらいです。低音が凄まじ過ぎてスピーカーに近づけない。奏でている音も異様だったし、いったい何だったのかよく分からない。後から調べたら、PILのジョン・ライドン以外のメンバーでやってたんですね。現場にいたときは立ちすくむしかなかったです。
その後、少し時間が空いたので少し休憩。BOOM BOOM SATELLITESとMORITZ VON OSWALD TRIOは時間が被っていたのでどっちに行くか迷っていたのですが、MORITZ VON OSWALDが入院、残ったメンバーでの演奏と聞いてBBSに決めました。
BOOM BOOM SATELLITES
彼らのライブは初体験。
レコードで聴くと彼らの楽曲はかなり機械的な印象を受けるのですが、サポートメンバーとして入っている福田洋子さんのドラムがとんでもないビートをガンガン刻んでいて、ライブなりの肉体性を獲得していて格好良すぎました。衝撃的。
この映像で感覚は掴めます。
BEADY EYE
先日の武道館でのノエルと同じく、"Rock 'n' Roll Star"と"Morning Glory"というオアシス時代の曲で一番の盛り上がりをみせる。この兄弟にとってオアシスの呪縛は巨大だなあと改めて思いました。というか、お前ら再結成してしまえよ。
ノエルの場合"Supersonic"の新たな解釈を見せてくれもしたのですが、BDIの方はアレンジもそのまんまで笑えました。その割には歌うときにもたつきを見せていたりして、フロントマンとしては、リアムの方が不器用なところも含めて天然物の役者だなと思います。
ノエルとBDIの両方を聴いてみると、オアシスを構成していたものが分解されて見えた気がして、もう少し別行動しているのを見ているのも面白いのかなと思いました。案外、本人達もそう思っていたりして。
OCEAN COLOUR SCENE
ほとんど話題に上がっていないのですが、思い出補正とか色々入っているローゼズを除くと、今回一番良かったのは彼らなんじゃないかと思います。BDIの後、ローゼズの前という時間帯でけっこう空いていましたが、ダイナミックかつ丁寧な演奏、サービス精神山盛りの有名曲ばかりで楽しかったです。いかんせん地味ですが、安定感ありました。
THE STONE ROSES
どこから何を書けばいいんでしょうか。"Second Coming"の頃に彼らを知って、もう17年も聴き続けてるバンドだし、フジにやって来たのも彼らを観るため。彼らの曲はB面曲も含めて全部歌えるし、メロディも歌もバンドの音もほぼ覚えている。わたしの音楽的な記憶の多くの部分を彼らは占めてます。
いや、もうぶっちゃけ彼らを見たら泣くと思ってたんですよね。しかし、あまりにもライブが素晴らしかったので自分の感情なんかどっかに飛んで行ってしまっていた。見終わった後は燃え尽きていて、しばらく経ってから本当に来て良かったなという気持ちが心の底から沸き上がってきました。大げさですが、17年も彼らの曲を聴き続けたのもこの瞬間のためだったのかなと思います。
歌が下手(これはいつものこと)だとか、演奏がまだ完全じゃないとか、色々な意見はあるわけですけど、そのためにマジカルな瞬間が降ってくるということはあるわけです。完成度の高さ故に予想の範囲から出てこないバンドも多いなかで、危なっかしさと美しさが絶妙なバランスの上に実現している。これは彼らだから実現できることですね。ファンの贔屓目もあるでしょうけど。
暑いのがずっと苦手だったのに、今回参加したのはとにかく復活したストーン・ローゼズを観るため。全てはこの一点です。今回ローゼズを見られなかったら一生後悔すると思ったから。
| ゲートにて |
| 歩くよ歩くよ |
| 色んな人が足を休めている川。水が冷たくて超気持ちよかった |
| グリーンステージ。このときはOWL CITY |
THIRD COAST KINGS
オレンジに向かう途中、ホワイトステージを通りかかり、そのまま吸い込まいました。そこで演奏していたのがこの人たち。他にも吸い込まれてくる観客多し。濃厚でいながら端正なファンクで、相当テクもありそうなんですが自己満足には走らずに観客をどんどん盛り上げていて楽しかったです。
| 熱かった! |
Jah Wobble & Keith Levene – Metal Box In Dub
さて、友人がお薦めされていたこれなんですが、正直、書きづらいです。低音が凄まじ過ぎてスピーカーに近づけない。奏でている音も異様だったし、いったい何だったのかよく分からない。後から調べたら、PILのジョン・ライドン以外のメンバーでやってたんですね。現場にいたときは立ちすくむしかなかったです。
その後、少し時間が空いたので少し休憩。BOOM BOOM SATELLITESとMORITZ VON OSWALD TRIOは時間が被っていたのでどっちに行くか迷っていたのですが、MORITZ VON OSWALDが入院、残ったメンバーでの演奏と聞いてBBSに決めました。
BOOM BOOM SATELLITES
彼らのライブは初体験。
レコードで聴くと彼らの楽曲はかなり機械的な印象を受けるのですが、サポートメンバーとして入っている福田洋子さんのドラムがとんでもないビートをガンガン刻んでいて、ライブなりの肉体性を獲得していて格好良すぎました。衝撃的。
この映像で感覚は掴めます。
BEADY EYE
先日の武道館でのノエルと同じく、"Rock 'n' Roll Star"と"Morning Glory"というオアシス時代の曲で一番の盛り上がりをみせる。この兄弟にとってオアシスの呪縛は巨大だなあと改めて思いました。というか、お前ら再結成してしまえよ。
ノエルの場合"Supersonic"の新たな解釈を見せてくれもしたのですが、BDIの方はアレンジもそのまんまで笑えました。その割には歌うときにもたつきを見せていたりして、フロントマンとしては、リアムの方が不器用なところも含めて天然物の役者だなと思います。
ノエルとBDIの両方を聴いてみると、オアシスを構成していたものが分解されて見えた気がして、もう少し別行動しているのを見ているのも面白いのかなと思いました。案外、本人達もそう思っていたりして。
| 眉毛弟 |
OCEAN COLOUR SCENE
ほとんど話題に上がっていないのですが、思い出補正とか色々入っているローゼズを除くと、今回一番良かったのは彼らなんじゃないかと思います。BDIの後、ローゼズの前という時間帯でけっこう空いていましたが、ダイナミックかつ丁寧な演奏、サービス精神山盛りの有名曲ばかりで楽しかったです。いかんせん地味ですが、安定感ありました。
THE STONE ROSES
どこから何を書けばいいんでしょうか。"Second Coming"の頃に彼らを知って、もう17年も聴き続けてるバンドだし、フジにやって来たのも彼らを観るため。彼らの曲はB面曲も含めて全部歌えるし、メロディも歌もバンドの音もほぼ覚えている。わたしの音楽的な記憶の多くの部分を彼らは占めてます。
いや、もうぶっちゃけ彼らを見たら泣くと思ってたんですよね。しかし、あまりにもライブが素晴らしかったので自分の感情なんかどっかに飛んで行ってしまっていた。見終わった後は燃え尽きていて、しばらく経ってから本当に来て良かったなという気持ちが心の底から沸き上がってきました。大げさですが、17年も彼らの曲を聴き続けたのもこの瞬間のためだったのかなと思います。
歌が下手(これはいつものこと)だとか、演奏がまだ完全じゃないとか、色々な意見はあるわけですけど、そのためにマジカルな瞬間が降ってくるということはあるわけです。完成度の高さ故に予想の範囲から出てこないバンドも多いなかで、危なっかしさと美しさが絶妙なバランスの上に実現している。これは彼らだから実現できることですね。ファンの贔屓目もあるでしょうけど。
| ジョン! |
| イアンの着てる服は1stのジャケット柄 |
| 落ちてくるレモン |
| レニー! |
| I am the resurrectionのアウトロ中、ブルース・リーのフィギュアで何かやってるイアン |
| フィナーレ。もう何がなんだか |
| 友人が感極まって泣いていた |
2012年7月8日日曜日
技術的な先祖返りをどう見るか
色々あって、新しいカメラが手に入って撮りまくっています。
時代に逆行するように、被写界深度、絞り、シャッター速度などは全てアナログで操作するものです(一応デジタルですが)。おまけに背面の液晶を見ながら撮るわけでもないので、ファインダーを覗かないと話になりません。修行すればファインダーを覗かずに撮れるようになるでしょうが。
これまではリコーのGR DIGITAL IIを使っていたのですが、細かな調整をカメラ任せにしていた分、これまで使ってこなかった筋肉に刺激を入れるような面白さがあります。それと同時に、自分で引き出せる表現力の可能性にちょっとワクワクしています。
ここ1週間は新しい(しかし旧式の)カメラを使っていて、そうしたなかでいきなりGRを使うとファインダーを覗きに行って調子が狂ったり、液晶で情報を見ながら写真を撮るのがどうも気持ち悪く感じてしまい、自分の感覚が変わってきているなと、少し嬉しく思ったりもしていました。
さて、ある意味でこの移行は先祖返りに近いものだと思います。カメラという機械は、それ自体としては既に完成されていて変更の余地の少ない、枯れたものです。写真を撮るという機能は変わらないわけで、機械が代行できる部分を排除しても早く馴染めるというのは、そこが大きいのだと思います。
わたしは物持ちが良く、15年も同じシャーペンを使っていたりします。洋服のような消耗品以外はあまり買い換えません。なので、何か新しいものを買ったときには進歩具合にびっくりすることが多いです(特にデジタル系は)。
驚きの多くは主に身体感覚のズレから来るもので、例えば携帯電話からスマホへの移行(ボタン→タッチパッド)などはその際たるものでした。個人的には、タッチパッドはハード的な対応をソフト面でやってしまえる点では優れていますが、ポケットに手を突っ込んだままメールを打ちたいユーザには不親切です。その機能性と、スマホというデバイスのあり方というのは実は噛みあっていないとも思います(ここらへんは書きだすと長くなりそうなのでまた別の機会に)。
最終的な落着点は経済性により決まるものと思います、その評価もまた、その外側にあるユーザのニーズ、言い換えれば特定の技術やシステムをどこまでの深度、射程で捉えるかという点で価値は変わります。カメラについて言えば、デジタルな制御から外れて発揮できる表現力を重視するのか、それとも写真は適度な画質で失敗なく撮れればいいやと思うかで、随分と評価は変わるということですね。
時代に逆行するように、被写界深度、絞り、シャッター速度などは全てアナログで操作するものです(一応デジタルですが)。おまけに背面の液晶を見ながら撮るわけでもないので、ファインダーを覗かないと話になりません。修行すればファインダーを覗かずに撮れるようになるでしょうが。
これまではリコーのGR DIGITAL IIを使っていたのですが、細かな調整をカメラ任せにしていた分、これまで使ってこなかった筋肉に刺激を入れるような面白さがあります。それと同時に、自分で引き出せる表現力の可能性にちょっとワクワクしています。
ここ1週間は新しい(しかし旧式の)カメラを使っていて、そうしたなかでいきなりGRを使うとファインダーを覗きに行って調子が狂ったり、液晶で情報を見ながら写真を撮るのがどうも気持ち悪く感じてしまい、自分の感覚が変わってきているなと、少し嬉しく思ったりもしていました。
さて、ある意味でこの移行は先祖返りに近いものだと思います。カメラという機械は、それ自体としては既に完成されていて変更の余地の少ない、枯れたものです。写真を撮るという機能は変わらないわけで、機械が代行できる部分を排除しても早く馴染めるというのは、そこが大きいのだと思います。
わたしは物持ちが良く、15年も同じシャーペンを使っていたりします。洋服のような消耗品以外はあまり買い換えません。なので、何か新しいものを買ったときには進歩具合にびっくりすることが多いです(特にデジタル系は)。
驚きの多くは主に身体感覚のズレから来るもので、例えば携帯電話からスマホへの移行(ボタン→タッチパッド)などはその際たるものでした。個人的には、タッチパッドはハード的な対応をソフト面でやってしまえる点では優れていますが、ポケットに手を突っ込んだままメールを打ちたいユーザには不親切です。その機能性と、スマホというデバイスのあり方というのは実は噛みあっていないとも思います(ここらへんは書きだすと長くなりそうなのでまた別の機会に)。
最終的な落着点は経済性により決まるものと思います、その評価もまた、その外側にあるユーザのニーズ、言い換えれば特定の技術やシステムをどこまでの深度、射程で捉えるかという点で価値は変わります。カメラについて言えば、デジタルな制御から外れて発揮できる表現力を重視するのか、それとも写真は適度な画質で失敗なく撮れればいいやと思うかで、随分と評価は変わるということですね。
2012年6月28日木曜日
ダウンロード違法化についてのあれこれ
youtubeが定着した頃(とうかモンティ・パイソンのアレ(リンク)?)から、アメリカではライブで稼ぐモデルへの移行が進んでいて、そうした状況がありながら、業界を上げてやることがテクノロジーの進歩や時代の変化への対応ではなく、失われつつある収益構造の保全であるという辺りで、完全に日本の「音楽業界」は終わってるなと。正直なところ、それ以上の感想はない。そもそも、既に次のフェーズへ移ってしまっているので、今更こんなことをしても何にもならない。
思い返せば、Massive Attackの"100 Windows"をCCCDで買ったときに、何かが失われたような気がして殆ど聴かなかった。作品の出来栄えとは別の次元で、完全に熱を削がれた。CCCDに関しては音質やプレイヤーを壊す可能性が取りざたされていたけれど、一番大きく毀損したのはリスナーへの信頼なのだと思う。
信頼というのは、交差点を渡る際を例に取れば、信号機(社会インフラ)が正常に機能しているという期待や、信号が赤になればドライバー(他プレイヤー)がちゃんと止まってくれるという期待など、幾つかのレイヤーに跨っているものであり、それぞれが正しく機能する必要がある。
アナロジーで語ると様々な語弊が出るのだが、お伊勢さんに参拝するために道を歩いているのがリスナーであり、その途中にあるお茶屋がアーティストであり、今回のDL違法化を推し進めている連中は公共の道のど真ん中に勝手に関所を構えてそこを通る人間から通行料を取っている。関所を構えている連中は、道路そのものに対して何ら貢献をしているわけではない。
2012年6月4日月曜日
ソクーロフによる『ファウスト』観てきました
銀座シネパトスにて鑑賞。かなりネタバレを含むので観たい人はご注意あれ。
以前、この作品は実在したゲオルク・ファウスト博士を下敷きにしたものではないかと書いていました。この予想は完全に外れて、割と忠実にゲーテの『ファウスト』をなぞった作りになっていました。
ただし、読んだことのある人にはわかると思いますが、『ファウスト』に同じゲーテの『ヴィルヘルム・マイスターの修行時代』のようなビルドゥングスロマンを期待していると火傷します。その上、ソクーロフによるヒットラー(『モレク神』)、レーニン(『牡牛座』)、昭和天皇(『太陽』)を描いた権力者4部作の総仕上げになる作品ということで、否が応でもまっすぐに古典作品を映画化したものにはなり得ません。
上の予告編では何やら名作文芸映画のようになってますが、原作を読むかわりに映画で済ませて読書感想文を書こうと思っていたり、美麗な映像と美形の俳優たちの繰り広げる華麗なドラマを期待していると、ありがたくも冒頭からドアップの○○○(ぼかし入ってますが)や内臓が流れ出るシーンを拝むことになります。
上では割と忠実になぞったと書きましたが、それはあくまでも粗筋レベルの話で、細かいところを見ていけば様々な異同があります。ソクーロフの問題意識に基づいたアレンジが加えられているわけですが、その差分から権力者シリーズへと繋がる点を探すのが、本作を読み解く上での鍵となるでしょう。
原作は、神とメフィストフェレスがファウストを堕落させられるかで賭けをするところから始まります。この点は完全に抜け落ちていて、原作の「良い人間は暗い衝動に駆られても、正しい道をそれなりに進むものだ(池内紀訳。以下同出)」という神のセリフはファウストの父親のものになっています。この父親はファウストがお金を借りにくれば断るし、ファウストが空腹なのに食べ物を与えることもしません。どうやら医者のようですが、荷馬車の檻のようなものに入れられた天然痘患者らしき人物を見ればうろたえるばかり。この父親は原作には登場しないのですが、彼が何であるかは明白でしょう。
弟子であるワーグナーとファウストとの会話では、はじめに言葉ありきというヨハネ福音書の有名な書き出しに関しても、ファウストはこれの意味が分からずに「言葉ではなく認識があったのだ」と語っています(セリフはうろ覚え)。この点では、原作では逆で認識とはワーグナーが言い出したものです。
ワーグナー:
人の世があってこそ心も精神も意味があるのです。そこから認識がはじまります。
ファウスト:映画のなかでファウストは認識認識としつこく何度も語っています。「はじめに言葉ありき」というくだりは、この世を形作っているものは全て神の言葉より発しているといった意味と理解していますが、ここでファウストは人間の認識がはじめにあると言っています。(この点は、あくまで日本語訳を比較しているので、ドイツ語でちゃんと比較するとピントを外しているかも知れません。強調されていたのでそう「認識」しています。)
どうあっても認識といいたいのかね。いちどはほんとうの名で呼んでみてはどうなんだ。どれだけの人が、ちゃんと認識したにせよ、それを胸の奥にしまっておけず(中略)そのあげく、はりつけにされたり火あぶりになったりしたものだ
ソクーロフの権力者シリーズでは、レーニン、ヒットラー、昭和天皇のそれぞれを超越的な支配者としてではなく、ひとりの人間として描いている点があります。昭和天皇の『太陽』が、実話も相まって一番分かりやすいですね。『ファウスト』では、はじめにあったのは人間の認識です。彼らのカリスマが成立するためには、周囲の人間が彼らを祭り上げることで多くの人に彼らがカリスマであると認識させる必要があります。例えば、スターリンの天然痘の跡は写真の上で綺麗に修正されていました。
『ファウスト』ではこれが裏返しになっていて、メフィストフェレスは、カリスマを生む従者のようにファウストに様々な覆いを被せようとするのですが、すれ違いを繰り返します。マルガレーテの兄の葬式に「ある紳士からの」お金を持っていって演出をしようとしても、ファウスト本人が葬式に出向いてマルガレーテにちょっかいを出したり、薬を呑まされた母親が死んで冷たくなっていく横でマルガレーテと寝たりする始末。倫理観とか道徳というものがないんでしょうかね。
その後、ファウストとメフィストフェレスとは第二部にあるように旅に出るのですが、ファウストに甲冑を着せて馬に乗せるという、ドン・キホーテとサンチョ・パンサの関係を逆さまにしたような場面があります。その鎧も、ファウストに劇場のオーナーからの借り物(偽者)だと見抜かれて脱ぎ捨てられてしまいます。
撮影場所は恐らくアイスランドに移っていると思いますが、巨大な間欠泉を目の前にして、ファウストはこの泉を作ることが自分の目的であると悟ります。熱いものは上昇し、冷えたものは下降する原理を利用するのだと。これは原作で干拓に乗り出したのともまた逆に、終わりなき運動を続けることを宣言するようです。時が止まることはないということか、ファウストはメフィストフェレスと完全に決別します。悪魔との契約書まで破り捨てるとは大したものですが、やりたい放題もここまで来ると笑うしかありません。そして荒涼としたフィヨルドも物ともせずに突き進んでいきます。
これまでの3作で、ソクーロフは権力の喪失の瞬間とその力の源泉を描いてきました。しかし、ここでファウストはその力の源泉すらも脱ぎ捨てて自律運動を始めます。特に言及しませんでしたが、原作では純粋な精神として存在していたホムンクルスも、本作では瓶詰めが割れて、一言も発する前に死んでしまいます。ついでに言えば、ファウストは作品中、一度もものを食べていません。冒頭からずっと空腹です。
精神と道徳を欠き、餓えた、自律した力が無限に上昇と下降を繰りかしていく姿を、レーニンやそのお師匠辺りが見たら何に例えるでしょうか。恐らくそれが、伝統的な意味での権力を揺さぶっているものの正体なのでしょう。
2012年5月25日金曜日
Noel Gallagher@武道館
最後に生でオアシスを観たのが2000年頃の横浜アリーナ。そのときのことで憶えているのは、前座で出ていたノーザン・ブライトが野次られまくっていたことと(かなり可哀想だった)、Gas Panic!が素晴らしかったこと。
そういうわけで、12年ぶり?の生ノエル。セットリストは下記だそうな(どっかでSad Songが挟まってた気がするけど)。オアシス時代の曲は通好み的な、どっちかといえば地味な曲が中心。このなかでは、Supersonicのアレンジがとても良かった。アラン・マッギーがどうのと喋っていたけど、どうやら会場にいたらしい。といっても顔知らないんだけど。
最後に、終幕する気ゼロのアンコールでのWhateverからの流れで完全にやられた。反則でしょうこの並びは。完全に掌の上で弄ばれるファンの図。
そういうわけで、12年ぶり?の生ノエル。セットリストは下記だそうな(どっかでSad Songが挟まってた気がするけど)。オアシス時代の曲は通好み的な、どっちかといえば地味な曲が中心。このなかでは、Supersonicのアレンジがとても良かった。アラン・マッギーがどうのと喋っていたけど、どうやら会場にいたらしい。といっても顔知らないんだけど。
最後に、終幕する気ゼロのアンコールでのWhateverからの流れで完全にやられた。反則でしょうこの並びは。完全に掌の上で弄ばれるファンの図。
02. Mucky Fingers (Oasis cover)
03. Everybody's on the Run
04. Dream On
05. If I Had a Gun...
06. The Good Rebel
07. The Death of You and Me
08. Freaky Teeth
09. Supersonic (Oasis cover) (Acoustic)
10. (I Wanna Live in a Dream in My) Record Machine
11. AKA... What a Life!
12. Talk Tonight (Oasis cover)
13. Soldier Boys and Jesus Freaks
14. AKA... Broken Arrow
15. Half The World Away (Oasis cover)
16. (Stranded On) The Wrong Beach
---encore---
17. Let the Lord Shine a Light on Me
18. Whatever (Oasis cover)
19. Little By Little (Oasis cover)
20. Don't Look Back In Anger (Oasis cover)
あちこちでのライブがyoutubeに上がっていて、これなんかいいなあと思う。12m30sからのSupersonicがいい。
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