2012年3月19日月曜日

検索とかSNSとか情報の流動性について

GoogleがFacebookの後追いばかりしていたり、個人情報を集めたり、変な変更ばかりするのですっかりダサくなってしまっている。数年前までは、Googleがこんな状況に陥ることになるとはまったく想像できなかった。

そういうFacebookも、一時期は「いいね!」ボタンを押させるための◯◯検定とか■■占いが広まって終わった感が溢れていたものの、タイムラインへの切り替えで在るべき姿に近づいたので、しばらくは今の状態が続くのだろうと思う。

ソーシャル系のサービスが隆盛を誇っている理由として、個人こそがキラーコンテンツでありGoogleにはそれが無かったとよく言われているが、これには同意できない。個人というものは、少なくともシステム上では、あくまでもその人から流れてくる情報の質を表す符丁でしかない。起点であって目的ではない。それをどうマーケティングに利用するかというのは二次的な問題だ。

検索はネット上の情報量が増大するのに対して、目的の情報を効率的に発見して利用するために作られた。あくまで主体的に情報を探す人のためのもので、情報を消費したい人のために最適化されたものではない。

情報を消費したい人は、ネット上でインプットはしてもアウトプットはしない場合が多い。Googleの検索エンジンでは、ネット上の情報をGoogleのサーバ内に格納しインデックス化している。要はアウトプットのない人はGoogleのなかには存在しない。文脈は違えど、ブログの読者やSBMサイトに絡んでそうした議論はよく見かけた。しかし数としてはこちらの方が多いだろう。

彼らにアピールするにはどうするか?自分から探さなくても自分好みの情報がやってくる仕組みが必要になる。

誰かにとって「好み」の情報が出てくるようにするには、アマゾンのサジェスチョンのように、指向性のインプットが必要になる。SNSではこの最初のステップの起点が知っている人間(一方向にせよ双方向にせよ)に設定されている。作られた当初はコミュニケーションの場となることが目標だったのだと思うが、やがて検索抜きにお目当ての情報が出てくる仕組みとして機能し始めた。そのようにわたしは理解している。

Information wants to be freeという有名な言葉がある。freeは無料や自由など文脈によって様々に解釈されるが、わたしは、情報は滞留を避けて流動性が高まるように振る舞うのだと思っている。ここでいう情報とは川の流れのようなコミュニケーションの連鎖のことであり、個別のコンテンツではない。

ところで、このInformation wants to be freeという言葉はそれを広めたクリス・アンダーセンのものではなく、Wikipediaによれば元々は米国の作家のStewart Brandによる言葉である。原文はこちら。
On the one hand information wants to be expensive, because it's so valuable. The right information in the right place just changes your life. On the other hand, information wants to be free, because the cost of getting it out is getting lower and lower all the time. So you have these two fighting against each other. 
一方、情報は高価になりたがる。とても価値のあるものだからだ。適切な場所に置かれた適切な情報は、人々の人生を変える。その一方で情報は無料になりたがりもする。情報を得るコストが徐々に縮小していくものだからだ。相反する2つの方向性が存在しているのである。
検索は無くなりはしないが、指向性を持った人のためのものになっている。何か情報発信をするときには、検索に対してPermalinkを提供する一方で、SNSを起点として情報の流動性を確保することも重要になっている。まさに相反する2つの方向性のなかに置かれるために。

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