2012年5月14日月曜日

巨人の肩の上から - TAUSと日本

過去に自分の書いた色々な文章を整理していたところ、TAUSに初めて参加したときのものが出てきました。我ながら多少気の利いたことを書いていたので、再構成してアップします。

先日のTAUS Tokyoでも壮大なヴィジョンが提示されていましたが、2年前のもっとシンプルなものでした。動画がyoutubeに上がっています。


音声抜きで絵を見ているだけでも何となく理解できると思いますが、ここでは、翻訳という行為を、異言語間での情報の集積と伝播の過程のなかで継続して用いられてきた技術として捉えています。

その上で、雲(クラウド)に届こうというバベルの塔や、世界最古の対訳コーパス(翻訳メモリ)としてのロゼッタストーンなど、よく知られたものを現在の文脈で解釈しています。特に、翻訳メモリなどは馴染みのある人にとっても最近登場してきたものとして受け取られがちですが、その発想は文字が発明されたときからあったわけですね。

そういえば、翻訳メモリを開発したのは、ロゼッタストーンを解読したシャンポリオンの子孫だという噂を聞いたことがあります。真偽は分かりませんが、面白い話です。ロゼッタストーンを対訳コーパスとして捉えると、翻訳メモリの開発者は、血縁的な意味での子孫というよりは、シャンポリオンの仕事を受け継いだというのが正しいのかも知れません。

「巨人の肩の上に立つ(Stand on the shoulders of giants)」という言葉を思い出します。特にアカデミックな世界ではよく使われると思いますが、先人の築いてきた知識の上に新たな知見を加えていく姿勢を指したものです。動画を見ると、TAUSのこのヴィジョン自体が、シナイ半島から発するヨーロッパ的な文化と歴史の上に築かれているものであることがよく分かります。もっとも、エウロペは巨人ではなくて女神ですが。いや、デカイのかも知れませんが。

今年のTAUS Tokyoでは、このヴィジョンも更にグレードアップしていました。詳細はいずれ公開されたときにでも、と思いますが「人権としての翻訳」など、やはりヨーロッパ(というか、EU)に根を持つ発想ということは改めて思いました。

日本でこうしたものを作れるのかという点では、文明論的な話にもなるのでわたしには少々手に余るところもあるのですが、こうした形で、翻訳とはいかなる意味を持つものかを問い直すことは非常に重要なことと思います。311以降の日本は、どうも現実が勝ちすぎるきらいがあって、そろそろ、そこから離れた思考というものも必要な時期だと思います。

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